台風19号の大雨で千曲(ちくま)川が氾濫した長野市北部の住民は、氾濫前、「雨は小降りで危険性を感じなかった」という。それでも、多くの高齢者や住民たちは消防の呼びかけを聞くなどして、早い段階で自宅から避難し、そのおかげで、間一髪、危険を免れていた。
《5・0メートル以上想定浸水深 この場所は千曲川が氾濫すると最大10・0メートル浸水する可能性があります》
多くの家屋が濁流に飲み込まれた長野市穂保(ほやす)地区。電柱には氾濫の危険性を伝える掲示が、同市と千曲川河川事務所の連名で巻かれている。
河川敷にあるリンゴ畑が水に漬かるなど、「氾濫したことはこれまでにもあった」と住民らは口をそろえるが、台風により上流で降った激しい雨により川の水かさは見る間に増し、決壊。浸水は数キロ範囲に及んだ。
「車内から見えたのはいつもと変わらぬ雨。ワイパーも最大にはしなかった」。穂保地区に住む佐藤陽子さん(68)は避難時の様子をこう振り返る。12日は食事後に入浴し、テレビをみるなど、午後8時ごろまでは普通に過ごしていたという。
大雨が降った際に堤防付近から千曲川の様子を確認する習慣はあったが、今回は終日雨が降っていたため、見に行くこともなかった。だが、付近を走る消防車両から避難を呼びかけるアナウンスが何度も聞こえ、近隣の民家の灯りが徐々に消えていった。
「みんな避難を始めたのかな」。13日中には帰宅できることを想定し、家族の薬と貴重品、毛布だけを手に午後8時半ごろ、車で10分ほど離れた市の複合スポーツ施設に避難した。
当時、避難所にテレビはなく、その後の状況はよく分からなかったが、雨足は強まらず、「危険といわれてもピンとこなかった。呼びかけがなければ避難しなかったと思う」。親族から「大丈夫?」と案ずるメールも来たが、気楽に構えていた。
翌13日、避難所で配られた新聞の号外を目にして、自宅にも濁流が押し寄せたと初めて知った。水が引いた14日、自宅を見に行き、愕然とした。玄関付近には木が倒れ、泥と家具でふさがれたのかドアも開かない。「被災地は『テレビに映る景色』だった。まさか自分が(被災者に)なるとは」
長野市が国や県のデータを基に作成したハザードマップでは、同市北部の千曲川周辺で広範囲にわたり氾濫による家屋の被害が予想されていたが、市の担当者は、多くの高齢者が早期に避難できた理由を「伝承のような形で氾濫の危険が受け継がれていたのかもしれない」とも受け止める。。
一方で、逃げ遅れ、濁流の中、家の中に取り残された人がいた人のも事実。氾濫の危険性を周知してきた市の担当者は、「逃げ遅れた人が出てしまったことが課題」と話す。「周知を繰り返しても、『自分は安全』と思い込む意識が働いていた可能性もある」としている。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース